2021年JAF全日本ジムカーナ選手権第1戦 

 

「もてぎスーパースラローム2021」

 

旅の途中

 

CMSC選手結果および各クラス上位結果

https://ameblo.jp/cmsc-yokohamasugar/entry-12665475847.html

大会のひとコマ https://ameblo.jp/cmsc-yokohamasugar/entry-12665478802.html

   

 大会情報(主催者HP)  https://www.shakedown.info/2021al-japangymkhana-1/

結果   https://www.shakedown.info/result/

シリーズポイント(昨年)(JAFHP) http://jaf-sports.jp/competition/point/gymkhana.htm

 

CMSCHP    http://himaob7.kagebo-shi.com/CMSC/HP/index.html

 

 

1 霞ケ浦(茨城県土浦市)

 

3月26日(金)22時に横浜の自宅を出発。下道で都心を抜けて、国道6号線を北上。

26日の25時と言うか27日午前1時、この日の車中泊予定の土浦に着いた。

この付近には道の駅がないので、霞ヶ浦湖畔の駐車場を物色。霞ヶ浦総合公園に隣接の空き地を見つけた。

 

 

 

 

 

 

 

朝起きたら釣り人の車の無料駐車場だった。

 

 

 

 

練馬からやってきたブラックバス釣りの荒木洋忠さんと初対面にもかかわらず、

アウトドアから始まり車やら釣りやら旅行やら、小一時間親しく話した。

 

 

1日1匹釣れるかどうかと言うところだそうだ。意外だった。

後日60cmのアメリカナマズが釣れたと報告があった。

 

 

 

荒木さんをが沖に出た後、湖畔で朝飯。今日はもてぎには行かずのんびり命の洗濯。

 

春の訪れを感じさせる土筆(つくし)が沢山生えていた。

「土筆の味噌汁」にする手があった。 後で気付いた。

 

 

 

2 土浦城(茨城県土浦市) 続日本百名城

 

室町時代に築かれ、江戸時代に段階的に増改築されて形を整えた。

幅の広い二重の堀で守る平城。天守は作られなかった。太鼓櫓門が現存し、東西二か所の櫓が復元されている。土浦は度々水害に遭っているが、その際にも水没することがなく、水に浮かぶ亀の甲羅のように見えたことから亀城(きじょう)の異名を持つ。地元の人に「土浦城」に行くと言っても反応鈍く、「亀城」のことかと念を押された。

 

 

西櫓(やぐら)

 

 

櫓門(太鼓門)

 

霞門

 

霞門から見た本丸跡

 

霞橋

 

霞橋から見た東櫓

 

 

霞橋から見た西櫓東側の水堀

 

霞橋から見た東櫓南側の水堀

 

二の丸門があったところに前川口門を移築した

 

 

3 笠間城(茨城県笠間市) 続日本百名城

 

佐白山頂に築かれた笠間城。

鎌倉時代に笠間時朝(1203~1265)が築いてから約750年間、歴代の笠間領主の居城となってきた。

現在、堀の跡や石垣が残されている。

 

大手門跡

 

大手門の正面に見られる石垣。


 

途中の石段

 

大手門跡から10分上ると本丸跡。

 

八幡台櫓跡

 

八幡台櫓は本丸に築かれた土塁の上にある。

 

天守へは本丸跡からさらに5分登る。きつい登りだ。

 

  

東日本大震災で一部崩壊した天守曲輪の石垣や石段。

 

山頂の天守曲輪には、佐志能(さしのう)神社があった。

 

 

  

 

間城公園に隣に、大石内蔵助の曽祖父(良勝)が住んでいた屋敷跡。

内蔵助も幼少の頃笠間に住んでいた。

 

大石内蔵助の像。大石家が仕えた浅野氏はここ笠間から播磨赤穂に移封になった。

浅野家は長直(長矩内匠頭の祖父)が赤穂藩主になる前、

浅野長重(長矩内匠頭の曽祖父)、長直が25年にわたり笠間藩主として笠間の地を治めていた。

 

 

4 笠間稲荷神社

 

伏見稲荷大社(京都市)、祐徳稲荷神社(佐賀県鹿島市)と共に、『日本三大稲荷』に数えられている。

(笠間稲荷神社の代わりに豊川稲荷神社(愛知県豊川市)と言う説もある)

飛鳥時代に創建され、1350年以上もの歴史をもつ「笠間稲荷神社」は庶民の神様として知られ、

年間350万人以上の参拝者で賑わっている。境内にある藤樹は樹齢400年。

 

拝殿

 

手水舎 随分立派

 

楼門

 

楼門を入ると右手に藤棚の下に松尾芭蕉の句碑があった。

「志波羅く盤 花能うへなる月夜哉」(しばらくは花の上なる月夜かな) 

句意は 満開の花。その上に月が上った。しばらくは月下の花見ができそうだ。

 

 

大鳥居(一の鳥居) 2011年東日本大震災で倒壊。2016年に再建。白色御影石から朱色の鉄製に代わった。

神社のHPでは二の鳥居があるのに撤去されたままだった。

 

 

仲見世のお店では 神棚 外宮 御影石台座が売られていた。御影石台座が一番高い。

 

 

 門前通り商店街 土曜日の16時で閑散としていた。

 

 

 

5 水戸城 日本百名城

 

 

水戸城を攻城する前に、まずは水戸駅前に足を運び、ご老公、助さん各さんに来水の挨拶をした。

この写真は通りすがりの苅間澤 学さんに撮影してもらった。

水戸城は北を那珂川、南を千波湖に挟まれた、日本最大級の土造りの城。

 大規模な土塁とともに、城の西側の台地には五重の堀、東の低地には三重の堀をめぐらし、

堅固な防衛線を築いた。

鎌倉時代に馬場氏により建てられた館が、江戸氏、佐竹氏と渡り、

慶長14年(1609年)に徳川家康の11男である徳川頼房公が水戸に封じられるとともに、

水戸徳川家の居城となった。

 

初代水戸藩主 徳川頼房像 (家康11男)

 

水戸城本丸跡 茨城県立水戸第一高等学校の敷地になっていた。

 

水戸城説明版

 

水戸城藥医門 茨城県立水戸第一高等学校の敷地内にある。

 

杉山門  水戸城二の丸の北口

 

杉山坂 北側から水戸城へと登る坂道

 

水戸城跡の大シイ2株。 戦国時代から自生している。樹齢400年超。

 

茨城県立水戸第三高等学校

 

 

 

 

水戸城本丸跡の西側 かつての堀はJR水郡線が走る

 

先は水戸駅。

 

 

 

「大日本史編纂の地」水戸徳川家当主徳川光圀によって開始され、

光圀死後も水戸藩の事業として二百数十年継続し、明治39年(1906)に完成した。

碑は二の丸内、水戸市立第二中学校前に旧水戸彰考館跡の碑と共にある。

 

水戸市立第二中学校 

 

大手橋と大手門 

 

大手橋の下の堀は埋め立てられて、道路になっている。道路の先に水戸駅。

 

 

 

6 元CMSC茨城事務局長 中田由彦氏と情報交換 

 

 

水戸城を1時間見学した後、本日のメインイベント、中田氏と食事しながら情報交換をした。

中田氏は三菱自動車ラリーアートフェイスブック会の管理人。三菱自動車の大ファンで、三菱自動車を去って尚、かつての栄光に思いを寄せ先細りする三菱自動車の行く末を案じてやまない一言居士。

前回2017年2月のCMSC全国大会で会って以来だから4年ぶりの再会。でもFBでしょっちゅう意見交換しているので、4年の歳月は全く感じられなかった。また中田氏は1993年10月に私が胃がんで急遽入院手術した際、1994年パリダカのスタート地パリで現地パリプロモーション業務の代役をしてくれた貴重なピンチヒッターになってくれた。1998年CMSC南茨城(現CMSC茨城)を作るとき、真っ先に相談した相手。以後も何かとご縁があり、

良好な関係を続けてきた。

結局1時間半に渡り四方山話だったが、忘れかけた記憶を甦らせてくれた。

 

 

 

7 本日の最終地 道の駅かつら

 

中田氏と別れてツインリンクもてぎの手前にある道の駅かつらに21時過ぎに到着。

ここで今回2泊目の車中泊となった。

 

 

途中でスーパーに寄って茨城名物「干し納豆」を土産に買った。

小腹がすいた時や、酒のつまみにぴったりの乙な味。